
ご褒美もペナルティも効果なし。娘に「ごはんを早く食べなさい」といっても「うん」と言うばかりで、まったく行動が伴わない。好きなものは比較的早く食べるが、そうでもないものはとにかく遅い。子供の頃から早食いだった私にとっては、なぜこんなに時間がかかるのか理解できなかったのである。
この記事は問題を解決するとか、こんな方法がオススメとか、そういった内容ではありません。おもに管理人の悩みを一方的に吐き出す記事となっております。
ごはんを食べるよりも、考え事やおしゃべりをするのが優先
娘の食事スピードが遅いのは、ずばり食べようという気になっていないからだ。一方でポテチやスイカやキュウリを食べる時は妙に早い。これは食べる気になっているからだ。やる気がない時のパターンは2つある。
1つ目はボーッとパターン。ひと口食べては食器を下ろしてボーッとする。注意すると再び食べ始めるが、気付くとまたボーッとしている。ボーッとしている時は、なにか食事以外の考え事をしているようだ。それは何か気になることでもあるのか、はたまた現実逃避なのかはよく分からない。
2つ目はおしゃべりパターン。娘はとにかくおしゃべり好きであり、何か話したいことがあるとエンドレスで話し続ける。当然、話している間は食べられないので、食事が遅くなるというわけだ。おしゃべりしないで食べなさいと言うと、無理やり話しながら食べようとするが、あくまでおしゃべり優先なのでエゾシマリスのように頬袋に食べ物を詰め込んだままである。

朝はだいたいボーッとパターン、夜はおしゃべりパターンである。昼は家ではおしゃべりパターン、学校ではよく分からないが、きっとおしゃべりパターンだろう。つまり、彼女の中では食事よりも別のことが優先なのだ。大好きなもの以外の食に執着がないということか。
思い起こせば私も食に執着がない子供だったかもしれない
私が子供の頃はどうだったか。思い起こせばあまり執着は無かった気もする。母の料理の味はなんというか、あまりアレだったから、というのが理由の一つだろう。母よ、キャベツもアスパラもほうれん草も、野菜はサッと茹でるだけが料理じゃない。炒めたっていいのだ。
まあそれに気づいたのは大人になってからだったが。あとは言っちゃなんだが当時の給食だって大してウマくなかったし、私は好き嫌いも非常に多かった。恥ずかしいことにおじさんになった今でも食べられないものが多数。特にカニや貝類は絶望的だ。特にアレルギーというわけではない。私のアレルギーは杉花粉と猫だけである。それでも猫は大好き、杉はなにか別の樹木に生まれ変わって欲しい。
といった感じで、ごはんが楽しみという気持ちは薄かったように思う。だからさっさと終わらようと早食いだったのである。
私は食に興味がないから早かった。そして娘は興味がないから遅いのだ。思考の末の行動は違えども、根幹は似たようなもの。それを分かっていながら、娘に早く食べろというのはどうなのだろうか。
注意は継続すれども、まあ仕方ないかという考えに落ち着いた
しかし自分が子供の頃にできなかったり、ダメだったことを引け目に思って、「父はできなかったから君もできなくていいよ」と言うのはあまりよろしくないと思っている。それは、「父ができたことは君もできるはずだ」と言うのと似たようなものである。
なので早く食べなさい、ひと口を大きくしろ、おしゃべりじゃなく食事に集中しろだの、いまだに注意することも少なくない。集団生活で時間を守れない人間は苦労するのだ。遠足の日に遅刻してしまい、現地まで自家用車でやってきて恥ずかしそうにしていたクラスメイトの顔を思い出す。さらに慌てていたのかおやつを忘れてきてしまい、お弁当の後におやつを楽しむ皆の中で、1人ショボーンとしていた。今思えばうまい棒の1本でも分けてやればよかった。
最低限の時間は守れるように食べ終わって欲しい。それが私の願いである。みんなちがってみんないいとはいうものの、子どもの内はだいたい集団生活だ。守れるルールはできるだけ守った方がいい。ハンバーグを食べる時は早いのだから、コールスローだってもうちょい早く食べてもらいたい。
ただ、食よりも別に興味が向く気持ちも分かるので、遅くてもまあ仕方ないか、とも思うのである。
(終わり)